キヲクのキロク。

忘れたくない日常の記憶。
どーでもいーことも、大切なことも、全部。
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最終日。
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ボランティア最終日。

朝は早出の人が出かけてから、残ったメンバーでお世話になった宿舎の掃除をする。
来た時よりきれいになった!と自画自賛。

土曜日は午前中のみ外来が診療している。
土曜日は混雑するか空いているか極端だと聞いていたが、今日は雨なので空いている日のようだ。

定期処方に来られた60代の女性は今は親戚の家にいる、当日は自宅で被災し、家の屋根の上て20〜30分津波が来て流されたと言われていた。
それでも命があったからね、と笑って話されているが今でも生活は大変だろう。

スタッフが少ないため問診と診察の介助を行ったり来たりする。
高校生の兄と小学生の妹を連れた祖母が来院した。
三人とも震災のあとから咳が続いているとう症状だった。
妹は喘息の既往もあったが、現在発作が出ている感じではなく、三人とも症状は軽かった。
屋外は粉塵がすごいので、子供たち二人は外に出る時はマスクを必ずすることとうがいを指導し、医師から薬が処方された。
祖母から話を聞くと、この二人の他にもう一人兄弟がおり、震災後に三人の子供を預かることになったと言う。
兄弟の親である娘さんは震災の当日、ヘルパーとして利用者さんの家を訪問しておりその時に津波が来て帰らぬ人になったようだ。
祖母は誰かを助けようとしたんでしょう、だから仕方ないの、お兄ちゃんはわかっていると思うけど、妹には娘さんが亡くなってしまったかもしれないことを言っていない、時々いつ帰ってくるのかねー?と言っている、これから私があの子たちを育てなきゃならないから・・・と涙を流していた。
今まで同居していなかったため子供たちの既往などよくわからなくてすいません、と言っていたのはそのためだった。
祖母はしんどいけどみんな辛いんだから、あんまり薬も飲んだらいけないんでしょ?と不眠や膝の傷みを我慢しているようだった。
医師や私からも、我慢しないで今は薬に頼っていいこと、今の状態が一生続くのではなく時間はかかるかも知れないがよくなるのでそれまでは薬を飲みましょうと説明し眠剤や鎮痛剤を処方され帰って行った。

診察もほとんど終了し、薬の処方を待っている親子と話をした。
震災当日、娘さんは船で仕事をしていたが、海上でも地震とわかるくらいに揺れてこれは尋常ではないと思い必死に岸に向かった。
なかなか陸に上がることができなかったがやっとの思いで上がり山の方を見ると、すごい土煙で急いで車に乗り母を連れて逃げたと言う。
周辺の80戸近くは被害に合い、自分の家は海岸に近いため、津波のことは少し頭にあったため早く逃げたが、ここまでは大丈夫だろうと思っていた少し高台の家の人はそこも津波に飲まれ亡くなってしまったと。
寺に避難していたが、寒くても毛布が一枚づつしかもらえず、大人も子供も年寄りも平等だ!とみんながピリピリしていたと。
90歳に近い母は今はお元気そうだが、その寒さで肺炎になり、1ヶ月近く入院していたとのことだった。
娘さんは明るく元気にこの話をしてくれたので、辛い話を聞かせてくださってありがとうございますとお礼を言うと、こういうのをこっちの言葉で「ようすかたり」と言うのよ、忘れないでね!と教えてくれた。
今回の津波の話が「ようすかたり」されて、全国で防災意識を高めていくことがこれからの役割だと感じた。



スタッフの一人の方が、これだけは支援に来てくれた皆さんにお話ししたいと言ってくださった。
今回の震災ではあまりの被害で通信手段がすべて途絶え、今何が起きているのか、何も情報がない状態でも動けず、何よりも家族の安否が確認できないことが辛かったと。
その方の家族は無事だったが、娘さんの同級生の母親は他の人を探しに行って帰らぬ人になってしまったと。
こんなことこれから起きて欲しくないが、もしものための避難場所を必ず帰ったら確認して、もし家族バラバラの時に被害にあった時はその避難場所に集合しておくことを決めておけば、探し回って被害に合うことはないので、とにかくその時は何も持たずに逃げること、命が一番大切だからこれだけは覚えて帰って欲しい、と話された。
今回の支援では絶対に泣かないと決めていたがその話を聞いていた時は涙が止まらなかった。
スタッフも皆被災者なのに、それでも仕事を続けて回りの人たちを支え、さらに私たちにまでこんな話をしてくださっている。
私がお手伝いできたことなんて本当に微々たることなのに、それより何倍も多くの大切なことを教えていただいた。



この1週間は私の人生の中でもかけがえのない経験になった。
震災の被害はTVや新聞など報道でかなり見ていたが、実際に自分の目で見るのでは全然違う。
2ヶ月以上たった今でも苦しい生活をしている人がたくさんいて、本当に辛い。
それでも前向きに生きていこうとしている皆さんのパワーも感じたし、私たちが滞在した1週間でも瓦礫もどんどん片付いていった。
私たちを迎えてくださった支援先のスタッフの皆様、辛いご経験を話してれた被災者の方々、今回全国から集まった支援チームのみんな、そしていない留守を守ってくれていた大切な人、支援に行かせてくれた職場の上司やスタッフ、私に関わってくれたすべての人たちに感謝の気持ちでいっぱいだ。
本当に本当にありがとうございました。

被災地の復興を心から願い、これからも出来る限りの支援を続けていきたい。







必ずまた、会える日を信じて。






【おまけ】
今日の朝食。
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昼食。
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お世話になった宿舎。
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