キヲクのキロク。

忘れたくない日常の記憶。
どーでもいーことも、大切なことも、全部。
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お誕生、ありがとう。
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また1つ
大人になりましたー。


明るく
元気に
毎日に感謝して
1日1日を大切に




これからも頑張ります!
| - | 21:23 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP
るるるーるーるー。
何日か前から口ずさんでしまうフレーズ。

♪こーれでおしまーい、こーれでおしまい
♪るるるーるーるー


たしかポンキッキで聴いたような?
とにかく暗いマイナーなメロディの
ヒポポタマスが死んでしまう内容。


知らない?とだー様に聞いてみても
知らないと。(ジェネレーションギャップ!!)




なのでググった。


以下、歌詞。

運の悪いヒポポタマス
本当についてないヒポポタマス

月曜日 めでたく産まれたよ
火曜日 学校優等生
水曜日 可愛いお嫁さんもらい
木曜日 苦しい病気にかかり
金曜日 ますます重くなり
土曜日 あっさり死んじゃって
日曜日 お墓に埋められた

運の悪いヒポポタマス
ヒポポタマスの一生
これでおしまい
これでおしまい
るるるーるーるー……



ポンキッキではお馴染みの
のこいのこさんの歌ですた。



しかしなんと悲しい歌詞。
朝から子供が聴く歌ぢゃないよねー。



http://www.youtube.com/watch?v=f_vmj-14kBA&sns=em
| - | 16:34 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP
世界一の朝食。
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あいにくの曇天のため写真も暗め。
ですがー
贅沢にbillsで朝食。


リコッタチーズパンケーキでお腹パンパン。
そりゃーデカプリオさまが太るわけだ。
納得のボリュームでウマウマー。

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スクランブルエッグも神です。
ふわとろー。
| - | 10:23 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP
偶然は必然。
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うんちぢゃないよ。
カレーソフトだよ。
でもどー見ても
うんちだよね。
そもそもカレーをソフトにするのが
おかしいよ。


カレーで街おこし
絶賛継続中!




人の出会いって不思議。
自分はいい人を引き寄せる力があるとさえ錯覚するくらい、素敵な人と巡り会える。
そして会いたいと思っていた人にも偶然会えちゃうんだ。
そしてまたパワーをもらう。


明日から通常業務再開!
早速夜勤みたいだけど頑張るぞぃ!!
| - | 21:39 | comments(1) | trackbacks(0) | ↑TOP
最終日。
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ボランティア最終日。

朝は早出の人が出かけてから、残ったメンバーでお世話になった宿舎の掃除をする。
来た時よりきれいになった!と自画自賛。

土曜日は午前中のみ外来が診療している。
土曜日は混雑するか空いているか極端だと聞いていたが、今日は雨なので空いている日のようだ。

定期処方に来られた60代の女性は今は親戚の家にいる、当日は自宅で被災し、家の屋根の上て20〜30分津波が来て流されたと言われていた。
それでも命があったからね、と笑って話されているが今でも生活は大変だろう。

スタッフが少ないため問診と診察の介助を行ったり来たりする。
高校生の兄と小学生の妹を連れた祖母が来院した。
三人とも震災のあとから咳が続いているとう症状だった。
妹は喘息の既往もあったが、現在発作が出ている感じではなく、三人とも症状は軽かった。
屋外は粉塵がすごいので、子供たち二人は外に出る時はマスクを必ずすることとうがいを指導し、医師から薬が処方された。
祖母から話を聞くと、この二人の他にもう一人兄弟がおり、震災後に三人の子供を預かることになったと言う。
兄弟の親である娘さんは震災の当日、ヘルパーとして利用者さんの家を訪問しておりその時に津波が来て帰らぬ人になったようだ。
祖母は誰かを助けようとしたんでしょう、だから仕方ないの、お兄ちゃんはわかっていると思うけど、妹には娘さんが亡くなってしまったかもしれないことを言っていない、時々いつ帰ってくるのかねー?と言っている、これから私があの子たちを育てなきゃならないから・・・と涙を流していた。
今まで同居していなかったため子供たちの既往などよくわからなくてすいません、と言っていたのはそのためだった。
祖母はしんどいけどみんな辛いんだから、あんまり薬も飲んだらいけないんでしょ?と不眠や膝の傷みを我慢しているようだった。
医師や私からも、我慢しないで今は薬に頼っていいこと、今の状態が一生続くのではなく時間はかかるかも知れないがよくなるのでそれまでは薬を飲みましょうと説明し眠剤や鎮痛剤を処方され帰って行った。

診察もほとんど終了し、薬の処方を待っている親子と話をした。
震災当日、娘さんは船で仕事をしていたが、海上でも地震とわかるくらいに揺れてこれは尋常ではないと思い必死に岸に向かった。
なかなか陸に上がることができなかったがやっとの思いで上がり山の方を見ると、すごい土煙で急いで車に乗り母を連れて逃げたと言う。
周辺の80戸近くは被害に合い、自分の家は海岸に近いため、津波のことは少し頭にあったため早く逃げたが、ここまでは大丈夫だろうと思っていた少し高台の家の人はそこも津波に飲まれ亡くなってしまったと。
寺に避難していたが、寒くても毛布が一枚づつしかもらえず、大人も子供も年寄りも平等だ!とみんながピリピリしていたと。
90歳に近い母は今はお元気そうだが、その寒さで肺炎になり、1ヶ月近く入院していたとのことだった。
娘さんは明るく元気にこの話をしてくれたので、辛い話を聞かせてくださってありがとうございますとお礼を言うと、こういうのをこっちの言葉で「ようすかたり」と言うのよ、忘れないでね!と教えてくれた。
今回の津波の話が「ようすかたり」されて、全国で防災意識を高めていくことがこれからの役割だと感じた。



スタッフの一人の方が、これだけは支援に来てくれた皆さんにお話ししたいと言ってくださった。
今回の震災ではあまりの被害で通信手段がすべて途絶え、今何が起きているのか、何も情報がない状態でも動けず、何よりも家族の安否が確認できないことが辛かったと。
その方の家族は無事だったが、娘さんの同級生の母親は他の人を探しに行って帰らぬ人になってしまったと。
こんなことこれから起きて欲しくないが、もしものための避難場所を必ず帰ったら確認して、もし家族バラバラの時に被害にあった時はその避難場所に集合しておくことを決めておけば、探し回って被害に合うことはないので、とにかくその時は何も持たずに逃げること、命が一番大切だからこれだけは覚えて帰って欲しい、と話された。
今回の支援では絶対に泣かないと決めていたがその話を聞いていた時は涙が止まらなかった。
スタッフも皆被災者なのに、それでも仕事を続けて回りの人たちを支え、さらに私たちにまでこんな話をしてくださっている。
私がお手伝いできたことなんて本当に微々たることなのに、それより何倍も多くの大切なことを教えていただいた。



この1週間は私の人生の中でもかけがえのない経験になった。
震災の被害はTVや新聞など報道でかなり見ていたが、実際に自分の目で見るのでは全然違う。
2ヶ月以上たった今でも苦しい生活をしている人がたくさんいて、本当に辛い。
それでも前向きに生きていこうとしている皆さんのパワーも感じたし、私たちが滞在した1週間でも瓦礫もどんどん片付いていった。
私たちを迎えてくださった支援先のスタッフの皆様、辛いご経験を話してれた被災者の方々、今回全国から集まった支援チームのみんな、そしていない留守を守ってくれていた大切な人、支援に行かせてくれた職場の上司やスタッフ、私に関わってくれたすべての人たちに感謝の気持ちでいっぱいだ。
本当に本当にありがとうございました。

被災地の復興を心から願い、これからも出来る限りの支援を続けていきたい。







必ずまた、会える日を信じて。






【おまけ】
今日の朝食。
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昼食。
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お世話になった宿舎。
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5日目。
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ボランティア5日目。
昨日の夜は少し夜更かしをしたが、朝は早出の人たちが行く前に起きれた。

8:20から毎日朝礼があるのだが、師長さんから残りが今日1日とあと明日の半日だけになってしまったので一言・・・と急にふられた。
私はこの1週間の風景が頭をよぎり涙が出そうなのをこらえ、少し言葉につまりながら、本当にお役にたてたのかわからないけど皆様に逆に励まされたこと、今回貴重な経験ができたことの感謝を述べた。

午前中の問診の時、前回受診時の記録を見ると、震災後に横須賀に高齢の母親を預けたと記載してある方と出会った。
私も横須賀なんですと言うと、お母様を妹さんの家に預けていた、と知っている地元の地名が出てきて嬉しかった。
震災直後にせっかく6時間以上かけて車で連れて行ったのに、お母様はやっぱり家に帰りたい、と家は一階が壊れているのにもう帰ってきてしまったと苦笑されていた。
スタッフも、津波で恐ろしい目にあっても行方不明の家族がいる人もいるからここを離れられない人のが多いのではないか、と話していた。
私ももし横須賀が津波や地震の被害にあっても、きっと同じように地元を離れられないと思う。

診察も終了時間がが近づいた頃、あわてて来られた方がいた。
家が倒壊したため自衛隊のお風呂に行っていたとのことだった。
患者様はまだまだ避難所にいる方も多く、診察の時も医師は今どちらにいらっしゃいますか?と聞いていた。

午後診察についた患者様は、自分の家は無事だったのだが、家がなくなってしまった親戚たちが自分の家に住むようになりそのストレスなのかいろいろな症状が出しまったという方が来られた。
被災者の方々、みんなが協力しながら生活しているが、家がなくなってしまった方はもちろん、被害が少なかった方もかなりのストレスが強いられているんだなと思った。

小児科の医師は週に一回しか診察をしていないが、毎日のように子供さんも来られる。
小児はただ大人を小さくしたわけではなく特殊なので本来は小児医が診察するのがよいのだが、今の現状では難しいため5〜6歳から小学生以上の小児は内科の医師が診察している。
しかし今日は1ヶ月の乳児を連れたお母様が来られた。
私は詳しいことは聞いていないのだが、症状としては重くなさそうであった。
内科医や院長先生も困っている中、私と同じ職場から支援に来ている助産師がお母様と話をしてくれ、お母様は安心して帰られた。
なんともたくましく、素敵だった。
その助産師さんは私たちチームのメンバーからも「お母さん」と呼ばれて何かと頼りにしていたし、みんなのムードメーカーだった。
後から院長先生もわざわざお礼に来てくれていた。

診察を終え、全員で記念撮影をした。
今日話をした若いスタッフは、自宅が全壊し今は家族全員で職場の宿舎に住ませてもらっていると話していた。
その方は若いのに私たちにとても気を使ってくれていて、とても毎日頑張っているように見えた。
若いスタッフが頑張り過ぎて、正直これから大丈夫か心配だったが、彼女には今回の経験を生かしてこの仕事が続けられたらいいなと思った。


明日半日でいよいよ支援も終わる。
休憩室と宿舎の掃除を住ませて、夜は簡単な食事をした。




【おまけ】
今日の朝食。
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昼食。
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夕食。
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4日目。
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ボランティア4日目。
昨日の夜は夜中に何度も目が醒めてしまい、朝はちょっとだけ寝坊した。
早番の人が出ていったのも気がつかなかった。

今日も午前中は問診。
やはり定期処方の患者様が多い。
その中で別のスタッフが対応した患者様だが、なんとなくあわただしく診察室に入った。
あとから聞くと、以前に自然気胸(簡単に言うと、肺に穴があき、呼吸困難になる病気)の既往があり、今回も同様の症状だったため別の病院にいったが、ここでは対応できない、と診察もしてくれずに帰されたため息子さんの車で来たとのことだった。
気胸となると普通は急を用するため救急車で来たり、対応出来ないにしても体の酸素濃度を測ったりくらいはするものなのだが、この方は何もしてもらえず、苦しいのを我慢して来られた。
外来で処置をして入院をしたのたが、その処置をするにもなかなか物品が揃わずに右往左往。
またまた自分の置かれている環境の有り難みを痛感する。

午後になり診察につくと、定期処方希望の患者様の合間に、震災の後から眠れないという患者様が数名こられる。
最後に診察した女性は私と同い年で、お母様を震災で亡くし眠れない、抑鬱の症状があり「心が折れそう」と話された。
診察をしていたのはやはりボランティアで九州から来た若い医師だったが丁寧に話を聞き、今後継続してフォローできるように院長先生にきちんと話を通していた。
診察を終え帰る時、どうしても声をかけずにはいられず、私も同い年なの、頑張り過ぎないでね、と言うと今は地元であるこの町に帰ってきているんだけど、神奈川に住んでいたんです!と笑ってくれた。
これからいろいろなことを乗り越えなければならないと思うが、本当に頑張りすぎないで欲しいと思った。



そして今日は支援に来た仲間の一人が誕生日だったため、ささやかながらパーティーを開いた。
4日前に知り合ったばかりのメンバーだか、同じ志で来たため団結力があって以前からの仲間のよう。
楽しいひとときだった。



【おまけ】
今日の朝食。
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昼食。
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夕食はお誕生日会。
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お誕生のことを知った院長先生がくださったメロン。
| - | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP
3日目。
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ボランティア3日目。

仕事の流れもつかめてきて、少し楽しく感じる。
空いた時間に他のフロアに手伝いに行く余裕もできてきた。
実は昨日までも時間はあったのだが、勝手にしゃしゃり出るのもどうかと思い様子を見ていたが、昨日の夕方に師長さんに許可をもらった。
せっかく来させてもらったのだからトイレ掃除でもなんでもするのに。

今日は朝から晴れ。
そして風が強くなってきたため昨日よりもっと埃っぽく、臭いもきつかった。
患者様に聞いた話では津波の時に魚がたくさん上がり、倒壊した家屋や車の中にも魚が残ってそれが腐敗しための臭いだと。
私の育ったところは漁港もあるため、幼い頃を思い出した。
診察に着くとやはり、震災のあとから眠れない、動悸がするなどの症状の方も多く、たびたび腹痛があるという女子高生もいた。
スタッフの方がこの町の子供たちが亡くなったり、非難して町から出て行ったりで子供が少なくなってしまったと話されていた。
今日診察を受けた少年は津波で両親と兄弟を亡くし今は祖母の家で住んでいて、かかりつけである支援先の病院に来たのだが、来る時に町に行きたくないと泣いたと言っていた。
本当に胸がつまり、言葉が出ない。

かわいい元気なじいちゃんは、津波で自分や息子たちは助かったが妻は流されてしまった、でも年だから仕方ないんだよと笑っていた。しかもその奥様ともすでに別居していたと聞き私もつられて笑ってしまったが、みんな驚くような経験を乗り越えている。

この町はご遺体が確認された方より行方不明者の方が今だに多く、患者様の口からも「亡くなってしまったけど見つかってよかった」との言葉が聞かれる。
昨日もまだ行方不明の母親がここにかかっていたので、手がかりになるようなものがあったら欲しいと言われる方が受付に来られていた。
スタッフの一人の方も、「家は大丈夫、床上浸水くらい。家なくなっちゃってるスタッフもたくさんいるからね。」と言われていた。
自分も十分大変なのに、それより大変な人のことを思って頑張っていられる姿にまた胸がつまった。





【おまけ】
今日の朝食。
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昼食。
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夕食。
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2日目。
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ボランティア2日目。

外来にはすでに患者様が数名いらしている。
今日問診させていただいた方は喉が痛い、咳が出る、いがらっぽい、痰が絡む、などの症状の方が多い印象。
朝は曇っていたがだんだん晴れてきたため、粉塵が舞い埃っぽい。
患者様たちの症状も納得できる。
午前中の患者数は昨日よりちょっと少なめ。
午前中は昨日と同様の内容だったため、何事もなく終了。
午後からは簡単な流れの説明だけ聞き、診察室の介助につく。
これはカルテの処理さえ間違えなければ大丈夫。
ここでもいろいろ教えてくれたスタッフの一人が震災当日のことを話してくれた。
やはり自分も津波に飲まれ、首の辺りまで水に浸かったがまわりに机とかいろいろな台があったおかげでそれに守られて流れてきたもので怪我をせずに済んだと言っていた。
携帯も流されてしまったため家族の安否が確認できなかったことが不安だったと、そして家族は全員無事だったが家は全壊した、と写メをみせてくださった。
今はどこで暮らしておられるのかは胸がいっぱいで聞けなかった。


大体が軽い診察と、定期受診の薬を処方されるだけだが、少し具合の悪い患者様もいた。
検査の結果、必要な処置ができる病院に搬送することになったおばあちゃん。
おばあちゃんは一人で家にいて、具合が悪いから病院に連れていって欲しい、と避難所にいる義妹さんに頼んで受診した。
義妹さんもびっくりしておられたが、連れて来てくれてよかった、と声をかけた。
処置室には本来ならあるであろう薬品や物品もなく、スタッフが病棟に走って借りに行っていた。
震災前ならこのくらいの対応もここで十分できただろうに。

午後の診察が早目に終わったので、老健施設に手伝いに行った。
ちょうど夕食の時間でかわいいジジババがホールに集まっていた。
ものすごく癒された。
私が横須賀から来たと言うと、一人のおばあが若い頃、三崎の缶詰め工場で勤めたことがあると話してくれた。
しかし東北ナマリが強く、その他のほとんどのことが聞き取れず。笑


夕方、支援施設の裏にある神社にいった。
施設よりさらに高台にあり、階段を200段登った。
そこからの景色は街を見渡せ、さらに震災の惨状を見せつけられた。
しかし海はとてもきれいで、この海が街や人を拐っていったとは思いたくなかった。





【おまけ】
今日の朝食。
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昼食。
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夕食。
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1日目。
ボランティア1日目。

朝7:30に集合し、揃って職場へ行く。
支援先の病院は外来、病棟、老人施設がありそれぞれ配置に着く。
私と同じ職場から来ている助産師さんが外来担当になる。
しかし入院患者が少ないとのことで、結局病棟の二人も合わせ四人で外来担当になった。
詳しいオリエンテーションもなく、支援先のスタッフ誰に聞いてよいかもわからず戸惑うが、見よう見まねでやってみる。
難しいことはまったくなく、患者様のカルテが出来上がりカゴに置かれるので、順番に今日はいかがしましたか?と問診をする。
大体の方が薬がなくなったので続きを処方してほしいということ。
あとは喉が痛い、熱、咳などのいわゆる風邪症状である。
患者様はご高齢の方が多く、降圧剤を飲んでいる方がほとんど。
血圧を測りながら軽くお話をする。
「お姉ちゃん、どごからきたの?」
「神奈川県?ワダスの姪っ子が相模原に住んでるのよー。」
「ありがだいねー、看護師さんがよぐやってくれて。」
東北の方の言葉は本当に温かい。
私たちの方が励まされる。
「実際に来てみてどうですか?」と声をかけてくださったスタッフの方も、自分も仕事中で津波に飲まれ30分くらい泳いで首のギリギリまで水がきた状態の時に、向こうから凄い勢いで流されてきた車が玄関の壁にぶつかってなんとか無事だったこと、その後10日間くらいそのまま働き続けたが夢中過ぎてその間の記憶がないことを話してくれた。
聞いていて何度も泣きそうになり、こらえるのに必死だった。
ボランティアは週変わりで何人も来ているため、そんな辛い体験をきっとみんなにお話してくださっているだろうに。

トラブルもあった。
ある男性の患者様。受付をすませ長い時間お待ちだったようだが、事務の手違い?でカルテが作られておらず、やっとカルテが出来上がり私が問診に行った時に雷が。
「お前らの手違いだろうが!何時間待たせるんだ!」と。
謝罪してもお怒りはおさまらず、診察室内の師長に報告してもらった。
事務の人も体調を崩している人が多く、発熱て二人も受診しながら勤務をしていた。
どこにでもありがちなトラブルだが、いきなり怒鳴られた私はびっくり。
まぁ、救急時代にそーいうのは慣れているけど。

そして午後には頭から大量に流血して来られた方。
傷を縫合するにも物品が揃っていないようで、若いスタッフがなんども走ってどこかに取りに行っていた。
物が豊富にあって必要な処置ができる、自分の今おかれている環境がつくづく恵まれていると感じた。


それでも手持ちぶさたでもっと働かせてもらいたい、申し訳ない感じの1日だった。



【おまけ】
今日の朝食。
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昼食。
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夕食。
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